ロボットアニメの定義の話

ちょっと前に囚人022さんのブログにロボットアニメについてちょっと書き込んだ。あまり人様のブログに長々と書き込むと失礼になるかもしれないのでここにちょっと補足を書く。というわけでそこで書いたものを引用。

僕が考えるのは(もちろん厳密に規定はできませんが)、人間では規模的、能力的にできないミッションがあるとき、何らかの手段が必要になります。その手段になりうるものの一つがロボットなんだと思います。場合によってはそれが「魔法」であることもあるでしょう。ジョジョだったらスタンドでしょう。僕は一応、そういった手段になりうる物質的な人型のもので、自我をもたないものをロボットといっていいのではないかと思っています。僕はこの手段という…に注目しているので、『のび太と鉄人兵団』のロボットとかは僕自身が考えるロボットには含めていません。彼らは自我をもっているので。ドラえもんも同様です。

これを書いた後でちょっと考えて、やはりこれは定義として考えるべきではないな、と感じた。定義というよりもテーマといった方がいいのかもしれない。「テーマ」という言い方が適切かわからないが、確かこれは文法用語かな? 文法というよりはシンタックスの問題だと思うが、この言葉は僕がフランス語を学んだときにおぼえたのだが、文はテーマとレーマによって構成されている。レーマとは述語的部分。日本語でいえば、まあ細かい区別はわからないが、「が」と「は」の違いがこのテーマとレーマにかかわっていると思う。「私は上岡龍太郎です」というのと「私が上岡龍太郎です」のちがい。前者においては「私は」がテーマとなる。後者は「上岡龍太郎です」がテーマになる。テーマとは文を構成するためのスタート地点のようなものといえばいいのだろうか。大喜利でいえばお題。それはコンテクスト的に既知のものでなければならないだろう。「私が上岡龍太郎です」といえるのは、「上岡龍太郎」なるものが万人に既知のものであり、それゆえにテーマになりうるものであるという自負が話者にある(というように本人が演じたい)からだ。
で、上の引用がテーマであるとはどういうことか。一般的には定義というものはレーマにかかわる。○○の定義を示せといわれたら普通「○○は××だ」と答える。そしてこの××の部分はレーマだ。また「○○が××だ」と応えるのは日本語としてちとおかしい。それで両者の違いは何だろうか。後者、つまり定義はかなり明確にその輪郭を規定する。それゆえにマージナルな作品、もっといえばギリギリはみ出るような作品が多くでてくるだろう。それゆえジャンルの定義は困難なのだ。それに対して前者、テーマははっきりとした外延は規定しない。むしろ複数の作品を結びつけたり、一つの作品の本質的な構成要素となりうるような問いを規定する。端的にいうと、上に示したテーマに反するものであっても、そのことによってロボットアニメに含まれないということはない、ということだ。例えば『ブレンパワード』。この作品にあらわれる「ロボット」はおそらく上の引用で示したロボットとは異なる。おそらくアンチボディなるものには自我があるからだ。では『ブレンパワード』はロボットアニメではないのだろうか。多分そうではない。正確にいえば、僕はこの作品も含めて上でロボットアニメを考えていきたいと思っている。囚人022さんのブログでコメントをくださったNishinomaruさんのご指摘の『エヴァ』についても同様で、このブログにも以前書いたように、この作品はおそらく重要な問いを提出していた。つまり敵とは何か、言い方を変えれば「ロボット」なるもの力を借りることでしか遂行できないミッションがあるとき、その対象とは何か、ということだ。その意味でいうと、コメントで書いた『のび太と鉄人兵団』については、訂正しなければいけないと思う。この作品で行われたことは、手段とその主体にかかわっている。つまり、人間が主体で、ロボットがその手段であるという自明性についてだ。その意味ではやはり排除することはできないのではないだろうか。
じゃあその問いとは何かって話になるのだが、それは作品と受容者の関係性の様態ではないだろうか。したがってそれは作者が投げかけた問いとは厳密には違う。『のび太と鉄人兵団』という作品が上で述べたような問いを作者が投げかけていたかというと、それはわからない。その意味でそれは客観的に検証可能なものではないだろう。その意味で僕は「ロボットアニメ」なるものをジャンルとして認識してはない(もしジャンルとは客観的に区分可能な何ものかであるとするならば)。そういうジャンルは存在しない、というのではなくて、作品と受容者の関係性の謂いである問いを考えるにあたって、ジャンルという考え方を前提とする必要があるのか疑問だ、ということだ。まあ何事でもそうだが、何かを語るのには多くのものをふまえた方がいいだろう、ということだ。

これでNishinomaruさんのご指摘に対する答えになったかどうかわからないが、とりあえず。