サテライトほか『マクロスゼロ』、『マクロスプラス』

ネット上では『マクロスF』がかなり話題になっているらしい。なんかこのクオリティでテレビシリーズやるのはかなり無理だろう、といわれるぐらい出来がよいらしい。というわけでテレビシリーズが始まる前に『超時空要塞マクロス』との間を埋めねばということでいくつか見た。残るは『マクロス7』と『マクロスダイナマイト7』かな。長い…。『マクロス II』はとりあえずおいておく。というわけで今回は二つ。しかし『マクロスゼロ』と『マクロスプラス』をまとめてあつかっていいものかどうか。まあでもどちらもある意味三角関係と可変戦闘機と歌という三種の神器はそろっている。マクロスの年代で古い方である『マクロスゼロ』を先に見たのだが、制作年はこっちの方が新しい。2003年ということは『地球少女アルジュナ』よりも後かな? ということもあってかなりエコな感じだ。『マクロスプラス』の方はもちろん河森正治がかかわってはいるだろうが、どちらかというと渡辺信一郎の初監督作品として、後の『カウボーイビバップ』との関連とかで語られる方が多いのかな。スタッフもかなり共通しているらしい。
マクロスゼロ』はマクロスが地球にやってくる前の、まだ統合政府ができていなくて統合軍と反統合軍が争っている時代、その戦争に巻き込まれた独自の信仰を持つ人たちの住む島が舞台で、主人公の戦闘機乗りがその島に漂流するところから話が始まる。で、そこに姉妹がいて、ちょっと三角関係っぽくなるが、そんなにというか全然ドロドロしていない。正直三角関係というのもはばかられるのだが。
それに対して『マクロスプラス』はどう見ても三角関係だ。というか全編痴話げんかというか。最大のヤマ場も戦闘機に乗って口喧嘩をする場面だ。
まあ年代もあると思うのだが、だんだんエコ的な問題意識が大きくなるにつれて、三角関係も影を潜めてくる。それはある意味必然的で、もし河森的な自然なるものが調和に満ちた全体を示しているのならば、三角関係などは三者の感情のすれ違い、本質的な不調和を前提としているからだ。『超時空要塞マクロス』においては三角関係と「戦わない」ということが別次元で進行していた。それはまだ調和に満ちた全体性としての自然というテーマがまだ生まれていなかったからだ。こういった自然という観点からすれば、三角関係などは非本質的なものとして退けられる。まあこの辺りは『マクロスF』を見てみたい。付言すれば、こういった自然を前提とすれば、ある場面においてアポリアにぶつかる。それは中絶の問題だ。『地球少女アルジュナ』の第09話ではまさにそれが問題になるのだが、そこでは明確に中絶に反対する立場がとられていた。母親の感情的な問題が完全に看過されることで、事態が単純化されている。そう考えると『超時空要塞マクロス』と2000年代の河森作品をつなぐものである『マクロス7』を見てみないといかんな。ほとんど同時代の『マクロスプラス』を見てみると、やはりまだエコ的な問題は出てきてないのかなとか思う。