サテライト『ジーンシャフト』

赤根和樹監督作品その2

ジーンシャフト』と『天空のエスカフローネ』はロボットアニメだ。前者は僕が勝手に「候補生もの」と名付けているジャンルに含まれるものだ。このジャンルに含まれるアニメは結構多いと思う。僕がみた中で思い浮かぶのはまず『トップ』シリーズ、『ダイバージェンス・イヴ』『無限のリヴァイアス』ぐらいか。あとまだ見てはいないが名前からして『女神候補生』もそうだろう。これまたまだみていないが『アイドルマスター XENOGLOSSIA』や『スカイガールズ』もそうなのだろうか。『エヴァ』もそこに含めてもいいかもしれない。それはともかく、このジャンルは少なくとも『ガンダム』以降、問われてきた問題に対応している。つまり、子供をいかに政治、軍事に組み込んでいくかという問題だ。候補生というのは文字通り候補であり、まだ完全に政治や軍事に組み込まれているわけではない。まあ予備校みたいなもので、子供的モラトリアムと対応しているのかもしれない。それはともかくこの候補生ものは大雑把にいって二つに分かれると思う。つまり、本当に候補でそこで選抜しようというもの。そして実は候補生というのは建前で、そこで選ばれたとされる人は実は既に決まっていて、それを隠蔽するために「候補生」とかいう言い訳をしているというもの。前者は『トップをねらえ!』がそうだろう。後者はある意味では『エヴァ』だろうし、『ダイバージェンス・イヴ』だろう。『無限のリヴァイアス』は会わせ技で、基本的に候補生というものは建前ではなく本当にそうなのだが、結果的にそれを利用したものがいるというところだろうか。ということでこの『ジーンシャフト』はというと、候補生がどうのこうのいう前にまず短すぎると感じた。いろいろ興味深い設定とかあったのだが、ストーリーを追うことを優先してしまってその辺りを突き詰めていく時間がなかったという感じだ。珍しく13話は短いなと感じた。僕が見た数少ない作品群からの印象では、サテライトの作品はどちらかというとストーリーというよりも背景や動きで見せるというものが多いように思えるが、この作品はむしろ話の決着をつける方に作る側が腐心しているような印象を受ける。僕としては興味深いのは物語よりもむしろシャフトなるマシン、まあロボットといっていいようなものだ。どうやらこれは前世代の遺跡のようなもので、未知のOSで動いていて、まあ未知なのでどうやらメカニズムが完全に解明されているわけではなく、しばしばうまいこと動かなくなる。まさにミッションを可能にするが同時に不可能にもする媒介としてのロボットそのものだ。で本来候補生であるということはこのOSのメカニズムを知って速やかにミッションを行えるようにするための訓練を積むということなのだが、このOSそのものが本質的に未知のものである以上、候補生を指導するものというのはあり得ない。というか実際いなかったと思う。そして何よりも緊急性である。いってしまえば訓練なんてしている暇はない。敵はどんどん襲ってくるからだ。そもそも「候補生」となっているこの作品の登場人物たちは本来候補生である必要はない人たちだ。というのは、ウィキペディアを見てもわかるように、この物語では遺伝子の操作などにより人間の能力は先天的にほぼすべて決まる。候補生の訓練が目指すものは技術的、能力的な向上と、倫理的な向上(?)の二つがあると思うが、前者の必要性は全くない。この点がこの作品を単純に候補生ものに加えることをためらわせる点だ。ちなみに、倫理的な向上、と日本語的によくわからないことを書いたが、要するに言いたいことは、「正しいことをしろ」とかそういうことではなく、集団でミッションを行うにあたって予測可能な行動をするということだ。ある状況を前にして「こういうことをする」ということが集団として予測可能でないとその集団を指揮するものにとってはやってられん。その規範が「すべてのものを殲滅する」でも「人は決して殺さない」でもどちらでもいい。要するに決められた規範に従って動けるかどうかだ。…ちょっと作品からはなれてしまったが、この作品においては「候補生」たち以上にこの謎のOSをうまく操作できるものはいない。その意味で彼らを戦闘から隔離して訓練をする必要は全くない。というか戦闘が緊急性を帯びている以上、むしろ彼らを戦場に連れて行った方が得策だ(というかそうせざるを得ない)。

この作品に限らず、いわゆる候補生ものが本質的な意味での候補生の物語を描いているということはほとんどないと思う。候補生というものが成り立つためには、まずその訓練が実際の戦闘とは隔絶されていなければならず(じゃないと「候補」ではない)、現役の軍人やパイロットあるいは専門の教官が戦闘の場から離れたところで指導していなければならない。まあ当たり前だ。ここにある種のディレンマが生じるだろう。つまりロボットものであるとすればやはり戦闘は不可欠だろう(もちろんこれは自明のことではないのだが)。しかしそもそも子供をいかにロボットに乗せるかという問いがあり、子供がいきなりロボットに乗れる必要はない、その訓練をしていればいいのだ、という回答を与えたとき、初めて候補生というものが生まれるのだが、その場合その子供たちはまだ実戦に至ってはいない。そして重要なことはその訓練の場面を描こうとすればするほど戦闘からは遠ざかってしまう。どうすればいいか? いくつかの解決法がある。まず訓練そのものがある種の偽装であるとすること。そしてもう一つは緊急性だ。前者に関しては『ダイバージェンス・イヴ』がそうだ。この場合「候補生」とされる者は実は候補ではなくてもう決定していて、むしろその者をこの場に連れてくるための口実として候補生という制度を作ったといえる。そしてその場合「候補生」とされた者は特別な者でなければならない。『ジーンシャフト』もそれに含まれるかもしれない。そして後者の緊急性についていえば、これはもうほとんどすべての候補生ものについていえると思う。そもそも候補生たちが戦地に赴かなければ行けないという状況は相当に切羽詰まった状況だ。その最たるものが『無限のリヴァイアス』だと思う。ただこの場合すでに候補生とか訓練とかいう状況じゃなくなっているが。そしてこの『ジーンシャフト』に関していえば、候補生もの的なディレンマを本質的には緊急性以外のやり方で解決したといえる。つまりそもそも一般的な意味での候補生として訓練する必要のない人材であるということによってであり、そしてそのことが設定に組み込まれているということだ。「本質的には」といったのは緊急性自体はあるからである。しかし緊急性がなかったとしても能力的に候補生以上に高いものがいないのだから、彼らが戦地に赴いたとしても不思議ではない。

そう考えると、ちゃんと訓練と実践を峻別して(リアルに、とはいわん)描いたのはわずかしかアニメを見ていない僕にとっては『トップをねらえ!』だけだったような気がする。その辺りはもっと見てみないといかん。ただ『トップ』についていえば、やはりOVAであったことが大きいのかもしれない。

やや長くなってしまったので『天空のエスカフローネ』についてはまたあとで。