アニメというビジネスについて

アニメ----破綻したビジネスモデル - 愛・蔵太の少し調べて書く日記
実際に今アニメの業界がどうなっているかについては判断する能力は僕にはない。ちなみにこちらではむしろ逆だということらしい。だから破綻しているという前提でこういった話に乗るのはやや危ないとは思うが、何となく気になった。何が気になったかというと、一方でアニメを通じて何らかのビジネスモデルを構築しようとする側があり、他方でこういったビジネスモデルが確立されるされないにかかわらずアニメを制作していかなくてはならない側がある。僕の貧しいアニメの知識によると、両者のぶつかり合いというのがかなりむかしからあったようだ。例えばロボットアニメではいかに玩具メーカーに抗うかという問いからたとえばパトレイバーのようなロボットが生まれた。ガンダムにしたって今あるものは完全にメカニックデザイナーのオリジナルであるはずはなく、また100%玩具メーカーの意に添ったものでもないだろう。要は両者の間のネゴシエーションの結果としてキャラクターなりアニメ作品なりが生まれているのだ。だからアニメ作品でビジネスをしようとする側の態度が正当化されるわけではない。そうではなくて、両者の間のせめぎ合いの中でアニメは生まれるのだ。一般的にいって「作品」なるものは「作者」と呼ばれる者と作者ではない人たち(あるいは環境)との相互作用で生まれる。そもそも「作者」に含まれる者たちのうちの一部は「キャラクターを商品として売る」というビジネススタイルそのものに異を唱えてきたのではないか。なぜなら売るためには売るためのデザインってのがあるだろうし、デザイナーが好きにデザインするってことができなくなるだろうからだ。結局は両者の言い分をすりあわせていくということになるだろう。そもそもドラえもんにしてケロロにしても、アニメの展開が始まる前にキャラクターデザインはほとんど出来上がっているだろうから、そういう葛藤も多くなかったのではないだろうか。この辺りアニメのオリジナルとごっちゃにして考えるのはどうかと思う。

以前放送中止について書いたエントリーで、アニメは芸術だから自由な表現活動を許すべき、といった考え方について留保したが、それと同じように(そのモデルが破綻しているかどうかにかかわりなく)ビジネスとして洗練させるべき、という考え方にも100%与することはできない。はやりアニメは両方の相互作用によって成り立っていると思うからだ。おそらくどちらかを主張している人も、他方によってもたらされる利益を享受しているように思うのだ。厳密にいえばマンガでも、映画でも、小説でも事態は変わらないと思う。