ロボット右翼とロボット左翼

tukinohaの絶対ブログ領域 - ロボット右翼/ロボット左翼

まあ僕なんかが考えていることがオリジナルなわけはないので、ほかにも似たようなことを考えている人いるんだろうなあとは思っていたが、やっぱりあったみたいだ。id:tukinohaさんのこのブログはよく参考にさせてもらっているが、そこによると「ロボット右翼、ロボット左翼」という概念があるようだ。どこを参考になさっているか分からないけど、「よくわからないので適当に想像」ってことは明確な区別があるわけではないようだ。こちらでの区別はだいたいがリアルロボットとスーパーロボットとの区別といっていいのだろうか。

僕の区別はどうなんだろう。たぶんここでは二通りの解釈でこの区別を使っていると思う。まず第一に僕はロボットとは媒介だと思っているので、その原則を守っているかどうかで左翼(リアルロボット)か右翼(スーパーロボット)か決めていると思う。その意味でいうと『エヴァ』はもはやロボットアニメですらない。ATフィールドが心のカベだとすると、エヴァは自我そのものである可能性があるからだ。総じて「セカイ系」に分類されるものはこの観点からすると非リアルロボット的な作品となる。
だが同時に僕はこのブログでもう一つの解釈をしていたと思う。それはリアルロボット的な問いを提示しているかということで右翼か左翼かが分類されるというものだ。どちらかというと僕はこちらの分類を強調していたと思う。要はロボットが作品の中でどう位置づけられているかについての問いを作品内で問い続けているかどうかということだ。その意味でいえば『エヴァ』は間違いなくそういう問いをしていたと思う。それはまあ「敵とはなにか」ということだろうと思った。そして僕が以前に見た『蒼穹のファフナー』や『創聖のアクエリオン』も、この意味ではリアルロボットとして考えることができるだろうと考えた。

id:tukinohaさんのエントリーを見てると、ロボット左翼というのはなんだかんだいってガンダム原理主義者なのかなという気がしてくる。僕はファーストガンダムの劇場版だけしか見ていないのだが、その限りでの印象をいうと、ガンダムに特徴的なのはそのロボットに対するフェティシズムだと思う。僕にとってはむしろガンダムといえばガンプラだ。まあアニメ全体が玩具メーカーのCMと考えることができるから、その意味ではこういったものはむしろ必要だと思う。しかしリアルロボット的な問いという観点からするとこういったフェティシズムは事柄を問うのではなく自明視させてしまう。したがって問いを駆動させるためにはフェティシズムに抗う必要がでてくる。僕の考えでは、というか多くの人もそうだと思うが、この観点からフェティシズムに最も抗ったのが『パトレイバー』シリーズであり、『装甲騎兵ボトムズ』なのだと思う。今『ボトムズ』のウド編を見終わったところだが、いっぺんにたくさん見るのがもったいないぐらいだ。僕にとってこういう気持ちにさせてくれたのは『カウボーイビバップ』と『あずまんが大王』ぐらいだ。両方ともロボットアニメじゃなかった…。