冨樫の休載に関する妄想

先日ニコニコ動画で『オタク大賞05』を見たのだが、進行をしていた鶴岡法斎がいろいろマンガの業界について暴露していた。そこから出発しての妄想。根拠はない。

この番組でのことはネットとかではちょくちょく見かけるので多分有名なんだろうと思う。一番話題になるのは例の大場つぐみの正体。いくら業界に詳しいからとてただ言っただけでは噂の域を出ないのだが、まあ断定的にいっていたのでそれなりにそうかと思ってしまった。このイヴェントが収録された当時、たぶん2006年の前半だと思うが、ジャンプはガモウ帝国らしい。

そのあたりの話はまあいいのだが、興味深かったのは、その当時のジャンプはほとんどのマンガが原作、ネーム、ペン入れ(というのだろうか?)の三分業制になっているということだ。で、鶴岡が批判していたのは、原作付きだと明記している場合はいいのだが、あくまで一人で描いているものも実は原作やらネームやらを別の人がやっていることが多いらしいということだ。そのことがどんな問題を引き起こしているのかについてはこのイヴェントでははっきりとはいっていなかったが、ひとつには多分お金の問題があると思う。

ひとつにはゴースト原作者の待遇の問題だろう。場合によってはネームすら書いていない「作者」と呼ばれる人が莫大な報酬を得ているのに反し、ゴーストの人はまあ食うには困らないだろうが、相応の報酬は得ていないと考えるだろうし、三分業制であるなら三者は平等に扱われるべきだと。

それともうひとつ。実際に一人で原作、作画(ネームを含む)をやっている人の不満だ。たぶん分業制をしている三人に支払われる報酬の合計は一人で全部やっている人に支払われるそれより多いのではないだろうか。もちろん、全く同じ部数を売り上げて全く同じ人気のあるマンガを描いていると仮定してだが。つまりこの隠れ分業制は報酬に関するバランスを崩す虞れがあるということだ。そしてマンガを描くモチヴェーションを低下させるという事態もおこりかねない。自分でプロットを考えて自分でネームを書いて仕上げる(もちろん場合によってはアシスタントともに)ことがばからしくなってくる。

以前に広告代理店の人と話したことがあって、その人によると冨樫は奥さんに給料面でそそのかされて書かなくなってしまったという話を聞いた。どの程度確かな話か知らないが、いずれにしてもその代理店の人のまわりにはそういう話はあったということは確からしい。このことと上に書いたことと結びつけると、ずうっとジャンプの中で書いていると、こういういびつな構造について実感することは難しいが、ほかでマンガを描いてきた人にとっては、やはりこの体制は非常におかしいし、(もし冨樫がそういう分業をとっていなかったとすれば)そのいびつさのいわば被害者になっているということがよく見えるのではないだろうか。

もしそれが正しいとすると、冨樫が連載を再開するためには、こういった制作に関する奇妙な構造が何とかならなければならないということになる。たぶんこういう構造は誰かにとって何らかの利益があるからだと思うのだが、その利益が大きなものであればあるほど、改革は難しいものとなるだろう。というか無理な気がする。つまり冨樫はもう少なくとも週刊少年ジャンプでは連載しないのではないだろうか、というのがこの妄想の結論だ。