GONZO『スピードグラファー』

GONZO。『月面兎兵器ミーナ』『アフロサムライ』『フルメタルパニック』に次いで四つ目かな。『ミーナ』は最初はおまけみたいなものだったし(しかもアニメ見始めの頃だったし)、『アフロサムライ』は日本語字幕だし、『フルメタ』はラノベ原作だし、そんなこんなでGONZOについて考えることはそれまでなかった。これを機にどうかなと。

まあアニメ一作だけ見て制作会社がどうこうと論じても、論じられた方はいい迷惑だろうが、そこは素人ということで。

前にも書いたがウィキペディアGONZOの項目で、比較的否定的な評価がなされていたこともあって何となく敬遠していた。そこに書いてあった記述というのが以下のもの。

ゴンゾにはかねて(特にGDHの子会社となって以降)グループアニメビジネスを主体にしたベンチャー企業としての評価は高いが、“アーティスト集団”としての評価を高くしない層も存在する。
そのような層が指摘する意見を列挙すると、概ね下記の様な事項に集約される。また、逆に以下のような点を評価するファンが存在することも事実である。

* 万人受けを優先した結果、結局誰にとっても魅力のない作品が多い
* 上記理由に伴い、特に脚本の評価が低いことが多い
* 3DCGの派手さを除けば、けして映像のクオリティは高いと言えない
* (一部の作品において)視聴者の反応を一切気にせず、クリエイターの自己満足で制作された作品が存在する
* 必要以上にエロ・グロ・ナンセンスを追求しすぎる作品が一部にある

一つ目と四つ目は両立するように思えないので、たぶん違う作品に対する評価だろう。いずれにしても全然アニメの知識がない僕にしてみたらこの記述は敬遠させるには十分なものだった。

とはいってもGONZOはいまテレビアニメをやっている会社の中ではかなり大きなところだと思うし、当然避けて通ることはできない。それといまの自分の関心と関係して、何となくGONZOには「非燃え/萌えアニメ」をつくっている、というイメージがあるので、やはり見ておかなければいけないだろうと。

それと、これまたニコニコで見た「オタク大賞」で岡田斗司夫がいっていたことだが、彼によれば「GONZOはオタクの敵」らしい。何となくそうかなあとか思ったが、これはちょっと考えてみていいことだと思う。岡田の書いたものは全く読んでいないのだが、テレビとかでいっていることを見ると、どうやら彼はオタクであるかどうかとはある言説の集積があって、それを共有しているかどうかということらしい。まあ要するにあるアニメの中で先行する他のアニメのパロディをさらっとやっていたときに気づくかどうかということかな。たぶん『オタク・イズ・デッド』でいっていることは、そういういわゆる教養が失われてしまったという話ではないだろうか。まあなんというか普通だなあとか思うのだが、じゃあそういうものを失わせてしまったものは何かと考えるわけだが、僕は最初「萌え」なんかがそういう教養主義を結果的に否定してきたのではないかと考えた。しかし「萌え」も岡田的な教養と同様にある種の言説の集積を可能にする。前にも書いたように、萌えとは作品と受け手をある感情によって結びつけることで複数の作品をいわばネットワーク化する。おそらく岡田にとって問題なのは感情がそのネットワーク化のきっかけになってしまっているということなのだろう。つまり言説を限定してしまっていると。しかし僕にいわせれば、言説としてのオタクも同様だ。『マンガ夜話』の『Pink』の回の岡田のグダグダ加減は忘れられない。オタクとはある言説の限定のあり方の謂いである。おそらく岡崎京子の作品はその限定された言説の外側にあるだろう。そして萌えとはオタクよりもさらに限定された言説のあり方だということができる。一言付け加えておくならば、実はそれは教養主義的な態度ではない。教養主義は理念的にはそういう限定を認めない。教養とは包括であり全体性である。ある作品を知るにあたって参照すべきものはすべてのものだ、だから教養を身につけなさい、という態度だ。それに対して言説としてのオタクは限定であり分断である。その意味で岡田がいうオタクも萌えも同じ穴の狢ではないかという気がしないでもない。もちろん感情を媒介とするかしないかという点は大きく異なり、この点は看過できないのであるが。

また例によって作品そのものの話から逸脱してしまったが、この『スピードグラファー』、結構面白かったと思う。なんだかよくわからんうちにどんどん事件に巻き込まれていくっていういわゆるノワール的な展開になるのかなと思いきや、なんか後半から主人公が変わった感じでむしろヒールの水天宮に焦点が当てられた。先のウィキペディアでの記述(「エロ・グロ・ナンセンス」)に反してこの水天宮という男は意外とまともな人間で、それ故に引き起こされる悲劇という展開が後半だった。前半を引っ張っていけばわけわからん怪物がばんばん出てきてかっとんだものになりそうだったが、後半のおかげでかなり普通の話になった気がする。復讐譚というのは嫌いではないので、それはそれでよかったが。

ちょっと気になったところは、作画、というか動きだろうか。なんかまじめに戦っているところでもやや稚拙な動きをしているように感じられた。グロというのはグロく動いていないとグロくないだろうから、その点では十分ではなかったのではないだろうか。エロに関しても、同じような感想を持った。そもそもエロ描写のところで反復があると萎える。あとはやはり設定についてだ。どういうメカニズムで身体がああやって変化し、特殊な能力を得ることができたのか、という点は僕としてはもっと突っ込んでほしかった。まあそんなことやってるとストーリーがちゃんと進まないだろうから、それはそれでよかったのかもしれない。

いずれにしてもGONZOのほかの作品も見る気にはさせてくれた。もっとたくさん見て、いかに「オタクの敵」であるかも理解したい。