童夢『苺ましまろ』

早くも毎週『みなみけ』が待ち遠しいので同じ制作会社による『苺ましまろ』の、テレビシリーズおよびOVAを見た。『苺ましまろ』については原作のマンガをちょっとだけ読んだことがあるが、なんか全体を漂っている陰鬱な雰囲気が非常につらかった記憶がある。もちろん萌えをねらった企画なんだろうが、なんというんだろう、すべてが終わった世界の出来事で、登場人物たちもそのことを仕方なく受け入れてしまっている、というある種の諦念を感じた。おかげで一巻をすべて読むことができなかったが、何せ大分前のことなので、単なる勘違いかもしれない。あるいはもっと先を読むとそんなことなくなるのかもしれない。そもそも僕はこの手のマンガにそういうことを感じやすいのかもしれない。たしか『ぱにぽに』でも各々のキャラの身体が気持ち悪くて途中でリタイアしてしまった。
まあそれはともかく。アニメ版『苺ましまろ』はそんなことなかった。ところどころ見られる美羽のうざさに耐えられれば毎回楽しく見ることができる。どうやら「美羽キャラ」ってのはもう定着しているようだ。こちらとか。たぶんここでいわれている「美羽キャラ」っていうのは『苺ましまろ』の美羽のことだと思う。『みなみけ』には多くこのような美羽キャラがでているとのことだが、むしろ僕は『みなみけ』のキャラには美羽特有のうざさを感じることはなかった。その理由はおそらくはっきりしていて、『みなみけ』ではそれぞれのキャラが決められた役割を演じていて、「美羽キャラ」と対峙した人はその「美羽キャラ」的なものをあらかじめふまえた上でふるまう。したがって逸脱はない。第01話の果たし状の話もカナはチアキの描いた絵にしたがって行動しているにすぎない。端的にいえばカナは扱いやすい存在ということだ。それに対して美羽は千佳などにとってそういう存在ではないのではないだろうか。一人で突っ走ってしまうキャラってのはこの手の話には結構不可欠な存在のような気がする。『あずまんが大王』における智とか『ひだまりスケッチ』における宮子とか。後者はそんなにかっとんでるわけではないか。だけどこういう人たちと違って美羽はなんか違う。要は天然とかそういうことではなくて、ちゃんと目的を持ってうざいことをやってるということが非常にうざさをかき立てるんだと思う。天然だとある程度計算可能だから、まわりも対処のしようがある。しかし美羽の場合はおそらく伸恵の気を惹くという目的があるので、まわりの対処を先回りしてよりうざいことをする(そうでないと気を惹けない)。その点がうざいんだろう。
苺ましまろ』とか『みなみけ』とかってのはいろいろ似通っているところが多くて、一つのジャンルを形成しているといってもいいくらいだと思う。ほとんど学生(高校生以下)、女子の集団が中心、基本的に恋愛なし。最後の点でエロゲ原作の作品と区別されるし、2番目の点で少年マンガ、少女マンガ原作のものとも違う。これに相当するのはほかに『ぱにぽにだっしゅ!』とか『ひだまりスケッチ』、あと『あずまんが大王』ぐらいだろうか。ほかになにかあるかな。『らき☆すた』もか。すごく大雑把に考えて、これらどの作品にも「美羽キャラ」的なものは登場していると思う。要はボケだ。ただ本家の美羽は伸恵に対する恋慕の情(といってもいいと思う)がある点でほかの美羽キャラとは異なるのではないか。これを書きながら『苺ましまろ』マンガ原作を4巻まで読んだが(今読むとそんな陰鬱な感じはしなかった。気のせいだったのかもしれない)、原作ではそういった美羽の伸恵に対する感情はそれほど描き込んでいないように思える。それだけに、そしてアニメのエピソードはほとんど原作通りなだけによけい美羽の感情の表現が際立つように思える。こういう感情ってこのジャンルのほかの作品では描かれているのだろうか。かおりんぐらいかな。あれはでもちょっと違うような気がする。

あんまりいろいろ考えなくていいから見てしまうが、こう考えると女子の集団で学校を舞台にすればいくらでも話を作れるのではないか。ある意味でいうとそれは安直さであるだろうけど、他方でこういった紋切り型的な設定をしてしまえば、ほかの点に力を注ぐことができるということなのだろうか。こう考えるとシャフト制作の作品(というか新房作品かな)が思い浮かぶ。確かに同社の作品にはこの手のものが多い。『さよなら絶望先生』もそれにくわえることができるかもしれない。よくある設定にすることで、他社と差異化された色彩や演出で見せると。たった今特別編を見たが、『ひだまりスケッチ』における登場人物のメトニミックな表現(メガネだけ、とか謎のバッテンとか)もこういった「よくある設定」だからこそ可能なのかなとかも思う。